デザインの行方—中編—
Camera:Leitz minolta CL Lens:Rokkor 40mm Film:Kodak collorplus400
単純にへそ曲がりな性格がそうさせたのだと思う。10年位まえから物作りの考え方として世の中では「ヒトモノコト」と言われる時代になったのですが僕がシャツ作りを始めた2010年頃の僕もまさにその「ヒトモノコト」を結果としてうたっていたと思う。そしてシーン全体がその様な流れになり現実を見据えた時に「何か違う」と思った。ストーリーや作家の人となりによって価値をつける物、、これは物作りなのか?ブランディング過多で口が上手い奴がそれらしく振る舞っているだけじゃねえか?シンプルに作った物が良いか悪いかの実力勝負じゃないのか?胡散臭い奴多いな最近、、とか思う様になった。少々荒っぽい言い方になったけど僕はパンクロックが好きな少年だったのでマイノリティの美学が根付いている。自分の立っている場所が”多数側”になってしまう事への恐怖心が生まれてくる。そうなったへそ曲がりな僕はそこを離れる口実を探してしまうのです。
「ヒトモノコト」な物作りに物足りなさを感じていた。いったい何が足りないのか?そうデザインである。かつてデザインなんて要らないと思っていた僕がデザインを欲していた。これは僕の持論なのですがデザインは出来る人出来ない(しない)人に分かれる。これはもう才能と言うやつで良いとか悪いという事ではなくて服作りにデザインを用いれるか用いないかという事です。そして僕はデザインが出来る人だった。デザインを用いた服作りは本当に楽しいという事も知った。後にパリでの展示会などでフランス人のデザイナーと知り合うのですが、売れているとか売れていないではなくシンプルにデザインに対して興味を持ってくれる。デザインの上ではキャリアは関係なく平等に接しあうという感じです。2023年に熊本空港リニューアルに際しgogakuのショップが入った時も大先輩のAtsurouTayama氏が会いに来てくれてお友達になってくれた。言うまでもないがこの時初対面です。つまり好みかどうかは置いといて、デザイナー同士というのはお互いにリスペクトありきで交流が生まれるのだと感じた。
デザインを重視した物作りでgogakuというブランドを立ち上げ活動の中心に置いたのが2018年。あれから8年、今新たな考えが生まれて来た様な気がする。更なるマイノリティーへの逃避行なのか?
次回につづく
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僕が毎日作っている物はWebShopで買えます。
今熊本での商売は大変な状況なのでご支援頂けると助かります。
宜しくお願いします