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camera:Leitz Minolta cl lens:Rokkor 40mm film:Kodak Collarplus400
アトリエ内の生活スペースの写真。
昨日の続き。
料理人修行1年目にしてうどん屋のセクションではあるが主力に育った僕の前に現れた助っ人、田口さんとは1年ぐらい一緒に働いた。3つ年上の彼は何でも出来た。外部の調理師会から来ていた彼は有名ホテルや料理旅館での修行を経てたので経験値が圧倒的にあった。僕が働いていた”あこや亭”の勤続20年のベテランでも田口さんにはかなわないくらいの実力者である。たかが僕の3つ上なので当時田口さんは19歳、日本料理のバケモンである。そんな田口さんと僕が仲良くなるのに時間はかからなかった。田口さんは僕の事を可愛がってくれたし仕事も全部教えてくれた。僕は田口さんという目標が出来てよりいっそう仕事に励んだ。田口さんは夜遊びも教えてくれた。この時初めて先輩から奢ってもらうという事を経験した。そういう事も教えてくれたし15歳のうちに”あこや亭”では学べないような技術を習得した。この時僕は日本料理の奥深さを知る。日本料理は他の国の料理と違って工程(プロセス)を大切にする美学である。つまり作る料理のり方にも正解があってそこには理由が存在する訳です。結果が仕上がっていれば良い訳ではなく工程にも美しさを求めその結果美しい仕上がりになるという事ですね。なので真髄は仕込みにある訳です。厨房仕事の8割は仕込みです。仕込みの中に真髄がある訳ですな。そんな事を惜しみなく教えてくれた田口さんは外部の調理師会の人だったので”あこや亭”の人間ではなかった。田口さんが所属する調理師会のおやっさんに僕の事を紹介してくれた。「こいつは見込みあるんで育てましょう」と打診してくれたんです。何度かそのおやっさんと会ううちにおやっさんも僕の事が気に入ってくれて「近々調理師会で動きがあるからそのタイミングで一緒に行くか」と言われた。どうやら本当に僕は才能があったらしい。
僕はその調理師会からの誘いに乗らなかった。というのもやはり16歳の僕には重かったのかな。そしてその話にのるなら定時制高校はやめる必要があったので、これは僕が親と約束した事を破る事になる訳です。高校は楽しかったし辞めたくなかったし、正直料理人を生涯全うするとも思ってなかった、この頃バンドも初めて遊びは絶好調に楽しかったしね。後”あこや亭”が好きだったのもある。確かに料理の技術面だけで言えば田口さんや調理師会の方が高いし、キャリアを積めるのは間違いないけど、それまで働いていた”あこや亭”を辞める理由にはならなかった。”あこや亭”の人達が好きだったのです。
後日予告通り田口さんはお店を離れました。僕との関係性は特に悪くなる事もなく最後まで良い先輩でした。今でも尊敬してます。
17歳になった僕は念願の1人暮しを始め、その数か月後に阪神大震災が神戸の街を襲う訳です。勿論僕の仕事場は三ノ宮のど真ん中なのでめちゃくちゃ影響受ける訳ですが、、
この続きは次回。